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JOURNAL

今思うこと3
04.06.2020

長い長いNYの冬がやっと明け、気持ちのいい日が続いています。
草木は目に見えてぐんぐん成長していて、短い春を一気に取り戻そうとしているみたい。
こんな気候、景色の中では自ずと私たちの気持ちまで解放的になります、
澄んだ青い空を見上げて、風に吹かれて、新鮮な空気を吸い込んで。。。

ふーー体の循環を感じる

それが一番、
そう、私たちは動物なんです。

うちの軒先に現れるリスや鳥、それにバニー!(最近ベビー同伴!!)
みんな春をよろこび、青い空や太陽の光を浴びて、元気にたくましく生きているんです。

私たちも同じでしょう。

Covid-19が収束しつつある今、アメリカでは悲しい事件を発端に今度は人間同士の戦いが始まってしまいました。

私は自分が19歳の頃にパリに留学し、日本の会社での社会人も経験しつつ、パリでフリーランスで働き、いまはアメリカにいます。
その経験を元にお話しをします、 すべて私個人の意見です。

パリにいた頃は都会だったこともあるのか。人種差別的な事は肌で感じる事は多々ありました。
日本では経験できなかったことです。
地域によっては、女一人で歩く事も危ない場所ももちろんあります。

学校のクラスメイトでめちゃめちゃイケててカッコイイ子がレイシストなのか、話したこともないのにまったく私とは目も合わせてくれない日々もありました。同じグループでの作業でもしかと。。。切ない。

家の窓に卵を投げられて「シノワシノワ(中国人、の意味だけど、アジア人全体をバカにしてるイメージの言葉)」と投げ掛けられて泣いた日々。しかも相手はブルジョワなパリの小学生。

子供や私を無視した同級生になにか思惑があったのかなかったのかは知りません。

肌の色、目の色、話す言葉が違えば
「え?」
と戸惑い、身構えるのは当たり前の本能だと多います。、

あえて本能と言わせてください。

でもさ
私たちは同じ人間という種です。
悲しかった思い出とは逆に
はっとさせられたのは、、、

私の息子は3歳の時に民族衣装に身を包んだ女性への挨拶を拒み、会いたくないと言いました。
よくよく話を聞くと彼にとってはその衣装が異様で拒否の「反応」をした様。
何でそんな格好なのか説明はしましたが、彼がいやだと言うなら無理強いはしませんでした。

友達の息子は、お友達の目が青かったことに衝撃を受けてその場で泣き出してしまったそう「なんで目が青いの!おばけなの!?」って。
両親も日本人だと他の人の目の色が違うことが衝撃だったのでしょう。

そう、自分とその自分を取り巻く環境が子供にとっては全て、それ以外の物は異質であり受け入れ難く時に拒否し。。。。時に興味を持つ物にもなりえるんだけど。

と思うんです。

違うという認識を持つ。 これ自体は本能の一部であって、否定するべきではないです。

絵を描く時、
黒と白は同じ「色」ではないでしょう、
真逆の、
でも
どちらも必要不可欠な色。
人としては同じ「ヒト」種です。という話

それぞれ違うけど、
どうしたらいいのかわからなくてもどかしい。
違いを認めよう。 そう、それが理想。

まずが違うという認識を持つことは正しいの。そこは悪じゃないの。本能だよ、
違うことは劣悪にはつながらない、 だれかの意見でそれをつなげないでねってはなし。

*私の話は今回の暴動の主旨とは異なるものです。
黒人が白人に虐げられてきた歴史は長く、そして今もなお根深い。
私が言いたいのはその問題ではなく、別の視点からの「違い」の話です。

もっともっとボーダーレスな。
みんなが同じ「地球人」になれますように

・・・*宇宙は広いんだから、生きてるうちに「地球出身」って言いたい!

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